今日はあるニュースを見ていて、発達障害のj人たちを
集めて職業訓練をさせている施設の特集があっていました。
確かに・・・
私も自分の息子が発達障害だと分かった時には
「この子が大人になったらどうするのだろう?」
という不安でいっぱいでした。
順番どおりに行けば、必ず子供より先に大人である私たちが
他界します。
発達障害の息子の世話を全て娘にさせるわけにもいかないし・・・
かなり、嫁さんといろんなことを話したのを覚えています。
発達障害にも軽度から重度までありますから、軽度の人であれば
他の方と変わらず、大学にも進学して就職しています。
しかし、息子のように中度以上の場合は、人とのコミュニケーションが
出来なかったり、感情をコントロールできなかったり、片付けられない、
就業規則を守れない。
色んな問題が浮上してきます。
そんな時でした。。。
iPadやiPhoneを爆発的に世界に知らしめたステーィブジョブズが
アスペルガー症候群であったことを知ったのです。
彼が亡くなってから様々な本が出て、名語録集まで
私は穴があくように読みました。
しかし、そこに『欠落』が見当たらないのです。
私は、はじめ発達障害は健常児の状態から、何かが
欠落した状態だと思っていました。
私の周辺にも、そういった障害を抱えている人が
いませんでしたし、正直・・・
「自分たちよりできないことが多い人たち」
というイメージしかなかったのです。
ですが、この本は私の考えを180度変えてくれました。
あくまでも発達障害は『欠落』ではなく、他の分野において
長けすぎている可能性を持っていると思うのです。
ビル・ゲイツやエジソン、アインシュタインも発達障害を
抱えていたという話ですから、この突拍子もない
隠れた才能を導き出せるかが親の重要の役割なんだと
思います。
その導き方はわかりませんが、少しずつ彼の自由な発想から
生まれる可能性を信じてみたいと思っています。
何年も前に記された日記にコメントさせて頂き、すみません。
私は現在既婚し、3歳の子供のいる母親です。
私は学習障害があります。
授業中先生の話している内容が全く理解不能でした。
小中高専、授業中に寝ている問題児でしたが、それはまるで外国語の授業を聞いているようだったからです。
今でも覚えています。算数のテストで0点を取った日、私は授業を聞いていないからだと、周りの大人に怒られました。しかしそうではないのです。私は計算は出来るのですが、そのテスト用紙というものを初めて見、その用紙の中の数字なら何を足しても、引いてもいいと思ったのです。
周りの大人はその理由を聞いて、開いた口が塞がらないといったようでした。
でももし大人になった今の私が、あの時の私に出逢えるのなら、あなたは天才よ!周りにはそんな素敵な発想がなかっただけ!と自信を持って言ってやりたいです。
その後私は、小学3年生で恩師に出逢いました。
自分の得意分野をどんどん引っ張り出してくれた先生、あれ程私を理解してくれた大人はいません。親でさえもです。
私は天才だ、と親や周りの先生にまで言い続け、守り続けてくれました。
私が自分の持つ障害について理解したのは、大人になり専門分野を学び始めてからでした。それまで自分のつまづく理由が解らず、苦しむ事も多かったです。
しかし私は社会人になり、精神科や療育の現場で働きました。間違いなく言えるのは、彼らの抱えている葛藤が自分には理解できるという事、そしてそれが私の長所です。自分の経験は何よりの強みであり、とても活かされています。
そして結婚し子供を持った今、現場からは一時離れていますが、自分の子供に対して思う事があります。
それは私のように問題や葛藤の多い人生になっても、私はそのままのあなたを愛しているという事です。
恩師が私にしてくれたように、私もきっとするでしょう。
親や先生は子供の世界では、1番身近な大人です。
人生の中でたった一人でいいから、そんな風に自分を受け止めてくれる大人がいたら、きっと子供の世界はキラキラと輝くと思います。
何よりもお父様が、こんなにも真剣に向き合っているのですから、きっとお子さんは幸せだと思います。
長々とすみませんでした。
まめこ母さん
コメントありがとうございます^^
ご自身の体験とても参考になります!
やっぱり理解者の存在って大きいですよね~
毎日行く学校での教育もとても大きいです。
実は、最近息子が先生から暴力を受けており、教育委員会などに
相談したところなんです。。。
まめこ母さんのように「恩師」と呼べる人に出会えたのは
とても幸せだと思います。
少なくとも自分だけは、息子の可能性を信じて受け入れていこうと
思います!
また遊びに来てくださいね!